スマホなんていらない。
って絶対そんな訳はないんだがそう思うこともたまにある。

去年のある日、精神的に参っていた僕は休みの日に外出していた。30年も生きてれば何だか気持ちが憂鬱になるタイミングくらいある。ウマイもん食って、洋服でも新調して気を紛らすといういかにもな作戦を決行していた。

そんな日にふと外出先で携帯の充電が切れてしまった。朝に充電し忘れていたせいだ。普段なら「おいっ!マジかよ。。。」とこの世の終わりを迎えているはずなのだが、この日の感覚は違った。

「あ、充電切れた。ってことは誰からも連絡こないしする必要もない。誰かのインスタも見なくて済む、最高じゃん。」

と、携帯に縛られなくて済むことへの快感を感じていた。普通なら気持ちは地獄行き。「クソぉ!」と奈落に落ちていくところだが、その日ばっかりは何故だか嬉しかったのだ。

少し話は逸れるが、僕の友人にLINEをしていない人がいる。その人との連絡手段は電話かメールのみ。インスタはやっているがメッセージ機能はオフにしているし、誰一人としてフォローしていないという徹底ぶり。始めてそれを聞いた時は「信じられない」と思ったが(今でも信じられないが…)、その時はその友人の気持ちが分かった。

誰かと一緒にいる訳じゃないのに、常に誰かのことを気にしている生活。それは相手のことを想った思いやりとか優しさといったものではなく、いつの間にかSNS越しに入ってくる相手の生活や気分といった情報。それってそもそもはその人に会って「元気だった?」「最近どう?」みたいに喋って始めて共有するものだった。しかし今では求めずとも画面越しに相手の情報が勝手に入ってくる時代。よくよく考えるとなんとまぁ鬱陶しい。

思えば高校生まではスマホがなかったから当然LINEも無かった。連絡手段は電話かメール。SNSも無かった。だからこそ学校で友達に会うのが楽しかったのかもしれない。「また明日ねー」が本当にまた明日だった。今では「また明日ねー」と解散してもその数分後にはラインでやり取りをしている。SNSを見て相手のその後の行動がわかる。明日また会うまでに空白はない。また明日という名のある意味また後でだ。

スマホはいらないってそんなわけは無いのだが、余計な情報まで入ってくることに関してはたまには考えものだ。画面越しの誰かに対して意識や時間を使うのではなく、目の前にいる人に対して精一杯になればいいと思う。

既読がつくつかないとか、連絡の返信はないのにSNSは更新しているとか、、、実に面倒臭い。けどこれも時代。時代の流れに適応していくことも大事なことなのかもしれない。スマホ.SNSとのうまい付き合い方。

ただやっぱり画面越しよりも直接会って目と目を見て相手を感じるということ。それがより大事な時代なのかもしれない。便利になっていく世の中に身を任せすぎない生き方をしたいものだ。

目の前のあなたに夢中になればいい